アルベルゲを出た日

2015年10月19日 22:40

「とりあえず2週間」が、3週間、

そして結局1ヶ月、オスピタレーロ(ボランティア)初体験の場として

お世話になったアルベルゲ(巡礼者の宿)。

水平線から昇る朝日が美しいアルベルゲ。

アルベルゲの家族、ご近所さん、同僚ジュリアン、

みんなによくしてもらったけど、

寝床環境が悪くて体力的にキツく

「執筆のため、ほかのアルベルゲも見てみたい」

とかいってサヨナラさせてもらうことに。

旅立ちの日、

ばーちゃんはわてに「ちょっとだけど」と言って小切手を切ろうとしたから

断った。「ボランティアで来たのでいらないよ!」


ご近所ヘルパーたちも見送りにきてくれた。

荷造りを終え、バス出発まであと20分というわてに、

マリロー(オーナー娘)

バスの中で食べるボカディージョ(サンドイッチ)を作るから待って、といってきかなかった。

時間がもうないからといってるのに

生ハムを切り出すマリロー。

かなり高価に違いないお中元(?)でもらった生ハムを

肉厚に、刻んでいく。(早く、早く!)

それを大量にかき集め、

冷蔵庫からチーズ、鴨や鶏のハムなども取り出して、それぞれラップに包んだ。

そこで

マリロー 「最悪ーっ、何で昨日のパンしかないのよ、

 パン屋の配達まだ?」

わて 「昨日のパンでも十分ですありがとう。ねぇ、もう出なきゃ……」


マリローはハム類をビニール袋の中に入れ、

それから真剣な顔でかつゆっくりと

食品棚もあさって

リンゴ、携帯用オリーブオイル、ジャム、

インスタントの粉末コーヒー、紅茶、ヨーグルト2個、

クッキーも1箱まるごと入れ、最後に缶ビールを2本追加した。


「大丈夫よ、バスって、たいてい遅れてくるから。

……それより、もーーう、パン屋のバカ!」

「マリロー、トモコはもう出なきゃいけないんだよ」

と母ソフィア↑ も言ってくれたが、

暴走するマリローを、誰も止められないことも

みんな知っていた。


わてを車でバスターミナルまで連れて行ってくださる

近所のおじさまも、アルベルゲの外で

「早く!早く!」とイライラ待っている。


マリロー「できた! はい、これ!パンが古いのでごめんねー」

バス出発まであと10分。バス停まで

車で5分はかかると思うが大丈夫か。


わてはマリローからすごい量の弁当袋を持たされ、

別れのアブラソ(抱擁)をしあっていたらマリローが

「トモコーーーー!」といってうわっと泣き出したため

わてもつられて泣き、

バーちゃんソフィアも泣いた。


オープン前のアルベルゲの外には、

いつものように歩き疲れたペリグリーノたちが暑そうに待機していた。

そこへペリグリーノとは様子が違う日本人女が

涙を流しながらデカ荷物をひきずって出てきて、

「ブエンカミーノ、ペリグリーノ!」

と叫んで車に乗り込んだからみんな「?」だったかも。


そんなタイミングでやってきたんだよね、パン屋の車が!

「トモコ待ちなーー、パン屋がきたーー!」

マリローはパン屋のバンにかけこみ、

トランクから焼きたてのバケットをつかんで、

わてのところに走ってきた。

「トマ!(受け取って)」

そんなドタバタ劇場および

盛大な見送りをいただきアルベルゲを脱出。


本気でバスを逃すと思ったが、

バスはマリローの言った通りに遅れてきたため

時間が余るぐらいだった。

車に乗らず、歩いてきた父ちゃんルイス(ソフィアの夫)も

さらにバケットを3本、わてに持たせた。

(食べれるわけないじゃん!)

さよなら、アルベルゲ・エル・ガレオン、

さよなら、

静かな水辺の町、サンビセンテ・デ・ラ・バルケーラ。

ビルバオ(バスク地方)へ向かうバスの中で、

わては

アルベルゲでのいろんな事件簿を思い出していた。


とにかく素晴らしい家族との出会いに感激。

自分のようなものが受け入れられ、

別れを惜しんでもらえたことなども信じがたく、

ありがたい気持ちでいっぱいだった。


誰かにあんなに一生懸命、

お弁当を作ってもらえたのなんて、

子供の時の運動会以来じゃないか!


4時間後にバスはビルバオに到着。

バスを降り、町を歩きながらもわては

まだ回想にひたって半泣き状態だった。

とそこで気がついたんだよね。


“あっ、マリローの弁当、バスの荷物棚に忘れた!”


……………………………。

『バッカだねー、あんたは! まぁ、お母さんも人のこと言えないけどさー』

っとゆー実母ちゃんの声が今も天国から聞こえる。